いわしたさんを語り合おう

7/22/1996

 岩下さんと会話をした記憶はないが、彼女はだいたいM研のゼミをやるとき、隣のところで何かいつも作業をしていたので、(時には迷惑を省みず、テクノ音楽をかけながら)1週間に1回はお目にかかれたりした。研究室のMACには、岩下さんが苦労して作ったであろうタワーの4つ星ビル「いわしビルヂング」が今日も稼働中である。いわしフォルダも健在であり、中に何が入っているのか見たくてうずうずしているのだが、まだ見たことはない。

 岩下さんを初めて見たのはいつだっただろうか。よく覚えていない。でも、MACの操作が分からなくて、岩下さんに教えてもらおうと思い「すいませーん、これどうやったらでるんですかあ」と僕なりにかわいい青少年を気取って訊ねたところ、彼女はなにも返事をせず、無言で僕のキーボードを操作し、操作を完了させ、何も言わず去っていったことが、僕の決定的な彼女の印象である。そしてその時、岩下さんにくびったけの僕は非常に感動したことを覚えている。何も語らず教える彼女は、まさにハードボイルド、固ゆでである。また僕は彼女の卒業論文「空間意思決定における空間分布表現に関する研究」を研究室から無断で持ち出し、全てのページをコピーした。これは僕の唯一の宝物である。

 僕がくびったけのピーク時に友人から岩下さんの彼は北海道在住だからどうこうという話を聞き、ショックを受けたが、そんな情報はどこから浮き出てきたのか、僕は理解しかねる。このくされ大学から彼女が去ってしまった現在、このへたれ大学の面白さが半減したという僕のような学生も多いと感じる。そこで、バーチャル岩下ファンクラブ、略して「先輩、お、俺、俺、も、もう我慢できないっす」では、岩下さんに関する想い出を電子メールおよび口頭で募集中です。

 これをうちながら思い出したんですけど、情報処理演習2のときホームページの採点官が岩下さんで、僕はこれよりひどい状態のときのホームページを彼女に採点してもらったが、「画像を張付けてあるところを見せてくれる?」というので高橋由美子と内田有紀の2つの画像しか持っていなかった私はかなりの勢いであせったが、彼女は内田有紀のアンカーを指差しながら「こっちのほうがいいなあ」と言って、私がアンカーをクリックし、内田有紀の絵を表示させるなり、何も言わず次の人に移っていったことを思い出した。高橋由美子は彼女の趣味ではないのだ。当然だ。それと、会計の授業のとき、彼女は大学院生として出席しなければならず、いつも右端の中段やや前方の席に座り、講義を聞くことなく、顔をふせていた。まあ、平たく言えば寝ていた。なんて、彼女はぷりちーなんだ。最高だあ。

 これを読んだ現在演習を履修中の学生は「なんだよお、今は降はたさんしかいないじゃーん、ちきしょお」とか愚痴る人がいると思いますが、残念でした、先生さようなら、みなさんさようならって感じですう。




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