作・村上N
スタジオでの仕事の中に「VTRを見ているゲストの方々にお茶をお持ちする」という馬鹿馬鹿しく見えるがしかしものすごい重要な仕事がある。これは主に私一人に任せられている仕事で、その日も当然やるべき仕事の内の一つだった。ところがその日、5月22日はゲストが14人もいた。というわけで短いV中に一人でお茶はさばけない。そんな理由でみんな(デスク担当や新入りAD)が手伝ってくれたのである、余計なことに・・・。というのもその時私の脳裏はこんな文章で埋め尽くされていたからだ。
「俺が高橋由美子にお茶を出す。」
そう。デスクの女の先輩やら新米ADが大挙して俺を手伝う。そうすればこの言葉は今ここで随意運動という脳からの命令として脊髄に送ることが不可能になるということ。これは困った。非常に困った事態になる。考える。考える、考える・・・。
いや別に考えなくても事態は好転していった。運良く私のポジション的にはスタジオの左手方向つまり「ショムニ」の連中が座っている側だったのだ。これは幸運意外のなにものでもない。そう感じながらスタジオ上ではお茶を出すVTRの直前のトークに差し掛かっていた。目の前には左から宝生、桜井、京野、そして高橋。そろそろお茶を用意する時間帯。私はコップを4つ用意し、それをペットボトルのお茶と氷を入れてきたクーラーボックスのふたの上に並べたそれはクーラーボックス本体と着脱式になっているのを利用し、お盆がわりにするためであった。ちゃんとしたお盆は女の先輩が僕を”手伝ってくれる”ために使用していたのだ。その人はすでにお茶を用意し終わり、配る用意をしている。ただし野村沙知代、高島忠夫らのために・・・。
私はほくそ笑みながら最後のお茶を注いでいた。万事順調だ、すべてうまくいっている・・・。そして立ち上がったのだ。目の前ではチーフADが「しめてください」と書かれたスケッチブックを島田紳助に向けていた。トークはもうすぐ終了、そして俺は満面の笑みで第二次接近遭遇に向か・・・・・。それまでの思考回路が突然寸断された。その原因を思考する事すらもできないことに気づいた。そして思考するよりも先に”感覚”が脳の神経細胞に入ってくる。その感覚とは「冷たい」というものだった。「暑い」でもなく「痛い」でもなく「冷たい」。そして僕はくさい二流役者が撃たれた時の演技をするように、ゆっくりとゆっくりと視線を降ろしていった。
クーラーボックスの蓋というのはまず、お盆として機能するようにはできていない。その機能の本質は保冷効果だ。いかに内容物を保冷、または保温するか、その事が重要。しかし保冷保温のために蓋を厚くすることは一見その機能追求のためには素晴らしいことに見える。だが新たな問題が発生する。それは重量だ。消費者が商品を選ぶ際に重要視する要素。その一番最後が「重さ」だ。見た目が良い、値段も手頃、しかし重い。その一つの要素だけで人は財布の紐をきつく締め直す。クーラーボックスといういわば”簡易冷蔵庫”として野外に持ち運ぶ事の多いものならなおさらだ。そういった二律背反性を改善するべく企業は努力する。このクーラーボックスの場合どんな努力をしたかは、この蓋の形状を見れば一目瞭然だった。蓋の表面は平坦ではなく、ところどころ規則的にへこんでいた。弁当のおかずとご飯がそのへこみにあってもおかしくない。つまりF1の車が極限まで車体重量を減らすのと同様に、その蓋もそうやって軽量化をはかっていた。
まず自分の目に見えたのはお盆(として採用したクーラーボックスの蓋。しかしこの後解雇)の上で転がっているコップ2つ。そして蓋の上の小さく、奇妙なプール。お茶の。へこみの中のお茶。こぼれた。こんなかたちだったっけクーラーの蓋ってなんでへこんでるんだこんなことって・・・・そこまでぼんやりしている暇がないことは頭の片隅のわずかな理性が知っていた。正気に戻るとまず状況を整理した。お盆にはお茶の海がひろがっている。そしてさっきの冷たさをようやく理解して再びぼんやりしかかった。Tシャツが濡れている。おおいに濡れている。Tシャツだけじゃなくズボンも濡れていた。
ぼんやりしかかってまた正気に戻ったのは、不幸にももっと最悪な状況になっていることを知ったからだ。というのも床にこぼれたお茶はキャリークレーン(クレーンの先にカメラが搭載されたもの。電動で動く。人間が乗ることは出来ない)のケーブルの上に並々と注がれていたからだ。いままでの事態は自らの体に被害が及んでいる限りそう悲観的なものではない。しかしそれが第二者、第三者に広がれば話は別だ。しかもカメラ等の技術屋となれば話はさらにややこしくなる。技術屋。この場合ニューテレスというフジテレビの関連会社だが、やはりそれぞれ職人気質をもっている。つまり砕けた言葉で言えば”頑固”であり、また”短気”であったりする。そのキャリークレーン担当の男はゆっくりとこちらを振り返った。そして私も視線を下から上に戻した。スローモーション。
しかし目と目が合う前に私はその場にしゃがみ、ポケットティッシュでお茶をふき取り始めた。上から激しい怒号が自らに降りかかってくるものとばかり思っていたが、何も声は聞こえなかった。当たり前だ、生放送中だぞ。声出せるかい、ボケ。そう考えながらお茶をふいていた時だった。
背後でこちらに近づく気配がした。またもスローモーション。ゆっくりと右から背後を振り返る。とそこにいたのは新米ADだった。彼は2週間前から企画制作部に配属された男でまだ19歳の若造だった。17歳で高校を退学、すぐにこの業界に入りテレビ朝日系「スーパーJチャンネル」を一年半経験した後、このウォンテッドに派遣されてきた、いわば私と同じ境遇の男。その男がゆっくり近づいてくる。
とそこで瞬間的に考えたのは、彼がそのまま近づき私を横目にお茶を取り上げ、ショムニの連中にお茶を配ってしまうのではないか、ということだった(運良くこぼさなかったお茶が人数分あることに腹立ってもいた)こんな状況でいまだにお茶を配ることに固執している自分におおいに驚愕している自分も存在していたが、それは事実だった。固執していた。そしてその仮説を恐れていた。自分よりキャリア的には上だ。しかしこと「ウォンテッド」に関して言えば自分の方が経験はある。それに向こうは19でこっちは23だ。その事実だけが自らの自信を支えていたものだった、今までは・・・。
「Jチャンネル」も同様に生放送の番組である。そしてあのキャリアからして今までにこういう経験を何度も体験したに違いない。いわば修羅場だ。どういう対処をすれば分かっているに違いない。そうだ、やつは絶対にお茶をとる。そしてショムニの皆さんにお茶を配ってしまうんだ。そうに違いない。しかし自分は今何してる?お茶まみれのカメラケーブルをせっせとふいている惨めな姿だ。そうしている間にADは近づいてきた(ああ彼はお茶をぉぉぉぉ)もう背後1メートル以内にいる。そして(持っていってしまうぅぅぅぅ)彼はしゃがみ込み(高橋由美子にぃぃぃぃぃぃぃ)お茶の乗ったクーラーボックスの蓋を・・・。
私はその時、彼がてっきり蓋を手にしてさっそうとスタジオのセットにあがりお茶を配る姿を思い浮かべていた。しかし彼が手にしたのは蓋ではなかった。私のポケットティッシュだった。そしてこうも言った。
「大丈夫?」
この際4歳年上の私にためぐちを聞いたのは見逃してやることにした。それよりももっと大事なのは、このガキがティッシュの箱ごと持ってきているという事実だった。つまり近づいている時点でその箱を左手に持っていたということだ。そんなことを見逃してびくびくしていた自分が惨めであったが、途端に笑いがこみ上げてきた。どうしようもなく押さえようのない笑い。とうとう顔の表情としてそれは現れてしまった。
そのADは私の顔を見てやはり怪訝な顔をしたが、私はそれを無視することにした。そして立ち上がった。もちろんあの出来損ないのお盆らしきものは要らない。両手でコップをひとつずつ持って。過ちは繰り返さない。顔から笑顔は消えていた。その目はしっかりとショムニのゲストに向けられていた。そういうことなんだ、私は思った。とりあえず、今のところ、世界は自分中心に回っていると考えてもいいのかもしれない。
私はスタジオセットに上がり、ショムニゲストの中で一番最初にお茶を渡すことになるだろう、宝生舞を視界に入れた。そして次いで一番最後にお茶を渡すことになるだろう、高橋由美子を視界に入れた。万事順調、すべてうまくいっている・・・。
(続く)
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